「上手いね」と「いい音楽だったね」。この二つは、似ているようで、実は別のものを指しています。
楽器を続けていると、速いパッセージが吹けるようになり、高い音も出るようになり、音程もそろっていきます。それはとても大切なことで、私もレッスンでは息の使い方や指、リードの状態を丁寧に見ていきます。
けれども、どの段階にいても、いつか出会う問いがあります。「この曲で、自分は何を伝えたいんだろう」という問いです。
技術は「発音」、音楽は「話す中身」
楽器の技術は、話すための発音や語彙のようなものだと私は考えています。発音がはっきりしていて語彙が豊かなほど、伝えられることは増えます。
でも、発音がきれいなだけのスピーチが心に残らないように、音を正確に並べるだけでは、聴く人の心にはなかなか届きません。
大事なのは、その音で何を語るか。どこに向かって歌い、どこで息をつき、どの音を一番大切にするか。それを決めているのが、その人が持っている「音楽観」、つまり音楽をどう感じ、どう捉えているかです。
ウィーンで学んだ「優雅さ」
ウィーン市立音楽芸術大学で学んだ日々の中で、とりわけ強く感じたのは、古典派音楽の捉え方に流れる長い歴史と伝統でした。ヨーロッパの他の国であれば、もう少し自由な解釈が許されるのかもしれません。
まず求められたのは、楽譜に書かれていることを、とにかく忠実に音にすることです。そのうえで、自分の音色とアイデアを、楽譜に書かれたスラーやスタッカートなど、音の切り方・つなぎ方(アーティキュレーション)を崩さない範囲で織り込んでいく。
「楽譜に忠実に」と聞くと、当たり前のことに思えるかもしれません。けれどもそこで求められる精度は、日本で私が考えていたものとは明らかに次元が違いました。一つひとつの音の長さ、切り方、つなぎ方まで、すべてを徹底してコントロールするのです。
そして、貴族文化の名残りがどこかに息づくウィーンの音楽が何より大切にしているのが、優雅さ、エレガントさでした。
渡ったばかりの頃は、「歌いすぎ」「歌い方がいびつ」と、繰り返し言われました。自分自身を否定されたように感じて、ずいぶん落ち込んだのを覚えています。
そこから技術を磨き直し、聴く人に押しつけにならない歌い方、音楽の伝え方を学んでいきました。
師の言葉で、深く腑に落ちたものがあります。
喜び、悲しみ、憎しみ、怒り。どんな感情よりも上に優雅さがあり、感情はそのひとつ奥に存在させるもの。
自分の感情を、内に秘める感覚。この言葉には胸を打たれました。まさに貴族文化そのもののように感じたのです。
音楽家であるための三つのステップ
「歌いすぎ」と言われた経験は、「自分の音楽を持つことが大切」という話と矛盾するように聞こえるかもしれません。でも今は、そこには順番があるのだと考えています。ウィーンで最初に求められた楽譜への忠実さも、この順番の中に位置づけられます。
- 自分の音楽を持つ。 まず「こう歌いたい」と感じること、思うこと。ここがなければ、どれだけ正確でも音楽は始まりません。
- それを楽器で表現しようとする。 感じたことを音にするために、技術があります。楽譜に忠実であることも、この段階の大切な土台です。
- 聴き手にどう聞こえているかを、客観的に聴いて調整する。 押しつけがましくなっていないか。自分の感情が、聴く人の感じる余地を奪っていないか。一歩引いた耳で確かめます。
感情を持たないのではなく、持ったうえで、それを優雅さの奥にしまっておく。ウィーンで学んだのは、この三つ目の大切さだったのだと思います。
これは上級者だけの話ではありません。始めたばかりの方でも、一つの音ごとに「感じる・吹いてみる・聴いて直す」を小さく繰り返すことができます。
音楽観は育てられる
音楽観は生まれつきの才能ではなく、育てていくものだと思います。私が大切にしているのは、次のようなことです。
- たくさん聴く。 ファゴットの曲だけでなく、歌もオーケストラもピアノも。
- 吹く前に歌ってみる。 一度声に出すと、楽器で考えていたときには見えなかった流れが見えてきます。
- 「なぜ」を考える。 なぜここでクレッシェンドなのか。なぜこの和音で立ち止まるのか。
- 音楽以外のものに触れる。 絵、本、言葉、景色。感じる引き出しが多いほど、音にできるものも増えます。
レッスンで大切にしていること
レッスンでは、もちろん基礎も積み上げます。ただ、「この音はどんな色にしたい?」「このフレーズはどこに向かっている?」と問いかけることも、同じくらい大切にしています。
始めたばかりの方でも、一つの音に気持ちを込めることはできます。むしろ最初からその感覚を持っているほうが、技術もずっと楽しく伸びていきます。
そして、その音が聴く人にどう届いているかも、一緒に確かめていきます。録音して聴いてみると、思っていた以上に「やりすぎ」だったり、逆に何も伝わっていなかったりするものです。
部活で吹いている学生さんにも、久しぶりに楽器を再開した大人の方にも、伝えたいことは同じです。楽器が上手になることはゴールではなく、自分の音楽を語るための手段です。
「自分の音楽なんて、まだよく分からない」という方も、どうぞ気軽にいらしてください。レッスンでは、どう吹きたいかを一緒に言葉にするところから始めます。
おわりに
私自身も、まだその途中にいます。
楽器奏者である前に、音楽家でありたい。その思いを、レッスンで出会う皆さんと分かち合えたら嬉しいです。